私たちについて

ABOUT US

私たちは、日本から多様なブランドの日本酒と焼酎を輸入・販売する正規代理店です。

本日、センキョウ株式会社は、
長い歴史と受け継がれてきた技と知恵が息づく、日本酒と焼酎の奥深い魅力と味わいを、
日本有数の産地からタイの皆さまへ直接お届けします。

あらゆるシーンに寄り添う一杯として、心地よい飲酒体験をお楽しみいただくとともに、
これまで出会ったことのない、新たな味わいの世界への扉を開いていただければ幸いです。

SENKYO CO., LTD.

当社は、日本から日本酒を直接輸入する事業を展開し、
歴史・技術・そして独自の個性を持つ酒蔵から、品質に優れた日本酒を厳選しています。

私たちは、良い日本酒は良い原料、誠実な製造工程、そして造り手の真摯な想いから生まれるものだと信じています。

その想いのもと、日本各地の酒蔵を自ら訪ね、
品質基準を満たし、かつ酒蔵の個性と哲学を真に表現する日本酒だけを選び抜いています。

私たちが輸入する一本一本は、単なる商品ではなく、
日本の造り手たちの物語、文化、そして誇りを、皆さまへお届けするものです。

良い日本酒は、ただの飲み物ではないからです。

それは、世代を超えて受け継がれてきた人々の想いが込められた、芸術であり、伝統だからです。

商品を選ぶ

日本全国に息づく、多彩な味わいの日本酒と焼酎を発見してください。

私たちの旅と丁寧なセレクションを通して、
日本各地の日本酒と焼酎をタイの人々に味わっていただき、
私たち自身が体験してきたのと同じように、
“飲むことの美しさ”をともに楽しんでいただけたらと願っています。

โรงกลั่นพันธมิตร (Partner Breweries)

โรงกลั่นเคียวฮิเมะ
大正7年

岡本酒造合資会社として発足

銘酒花自慢の名称で大阪地域を中心に広く親しまれてきました。名水の誉れ高い伏見でも最良の伏水である地に酒蔵を構えています。敷地内の井戸から湧き出る清水で仕込み、伏見の酒の特徴であるソフトな旨口、きめ細かな風味を醸し出しています。

昭和49年6月
世界鷹酒造株式会社に社名変更

平成9年7月

株式会社京姫酒造に社名変更

平安建都1200年祭にあやかり、平安京の「京」と深窓の姫君の「姫」をもらい社名を 京姫酒造と変更しました。京都伏見の地域に根差し、大切に育てる吟醸蔵を目指しています。

アクセス

蒸留所のウェブサイトへ
青木酒造は全国を代表する豪雪地帯、新潟県 魚沼地方に位置する造り酒屋です。1717年の創業以来、300年もの長きにわたり絶えることなく酒づくりを続けております。「鶴齢」に代表される青木酒造の酒は、雪国のもたらす様々な恵みと越後杜氏による伝統の技によって生み出されます。「淡麗辛口」が多い新潟の酒の中で、酒米本来の旨みを残した「淡麗旨口」の酒造りを目指し、次の100年へと、その味を受け継いでいく所存です。
 
青木酒造が酒づくりで一番大切にしている「和合」の精神。それは、杜氏や蔵人、酒米を栽培する農家の人々ら「造り手」と、酒屋や料理店などの「売り手」、鶴齢を愛飲してやまない「呑み手」による和合によって、善い酒は生まれるという考え方です。
和合の背景にあるのは、新潟人ならではの「耐え忍ぶ精神」と「助けあう心」。お互いを思いやり、慮り、時には我慢し、時には励まし合い、時には喜び合って、初めて和合の精神は成立します。
 
青木酒造の「鶴齢」は、地元 魚沼の食文化に寄り添った味わいを特徴としています。冬の間も長期保存が可能な干物や漬物などに加え、汗をかき熱心に仕事をする魚沼人が好む塩や醤油を用いた味付けが主体の魚沼料理。これらに合う酒として「鶴齢」は、新潟ならではのキレの良い淡麗な造りでありながら、押し味として米本来の旨みを最大限に引き出し、飲み飽きのしない銘柄を目指しています。
 
鈴木牧之は明和7年(1770年)塩沢に生まれた商人・随筆家で、現蔵元の先祖に当たる人物。「鶴齢」という名も牧之が命名したと伝えられています。その牧之が雪深い魚沼の暮らしを全国に伝えるために記した書物が『北越雪譜』です。構想から30年の時間をかけて出版し、雪国の風俗や方言、習慣や伝承、名産である縮産業についてなど、魚沼の暮らしの多様性と豊かさを綴った江戸末期のベストセラーです。ちなみに「鶴齢」に次ぐ青木酒造の銘酒「雪男」もこの『北越雪譜』に登場する毛むくじゃらの異獣がモデルになっています。
 
蒸留所のウェブサイトへ
「鮎正宗」という酒名は、昭和初期に
当酒蔵にほど近く保養地として有名な妙高高原の赤倉に
滞在された京都伏見の若宮博義殿下から、
この地で鮎釣りをされた折りに戴きました。
 
雪と共に生きる。
鮎正宗のある妙高市猿橋地区は
新潟県でも有数な豪雪の地であり、
寒仕込みの頃には2mを越す深雪の中に
蔵はすっぽりと包まれます。
春になれば、雪解け水が伏流水となって
この地域の田畑を潤してくれます。
 
緑溢れる大地
新潟県と長野県の県境、深い緑に包まれた
山あいの里・猿橋の地に当酒蔵があります。
ほっと心がやすらぐような、緑豊かな地。
創業は明治8年(1875年)、
初代飯吉彦左衛門が
枯渇することを知らない
良質の湧き水で酒を醸したことが始まりです。
 
大自然からの恩恵
酒の原料となる湧き水は、
今尚こんこんと音を立て湧き出ており、
毎時5トンの水量 を誇ります。
蔵元に寄り添う山の地下深くより
自然に湧き上がる伏流水です。
大自然に育まれた柔らかな軟水。
 
心を込めて醸す。
こうした厳しい自然の中で、
新潟県産の選び抜いた米と良質な湧き水を
蔵人が心を込めて酒を醸しています。
澄んだ空気の清らかな山峡で
自然の恵みに感謝し伝統の技と味を
受け継いでゆきます。
 
蒸留所のウェブサイトへ
小山本家の歴史
1763[宝暦13年]
初代小山屋又兵衛が播磨州加古郡宮北村(現兵庫県加古郡播磨町)に生まれる。
 
1788[天明8年]
灘、伏見などの酒どころで修行した後、又兵衛が関東に移住、武州浦和宿在白幡村(現埼玉県さいたま市浦和区)金子儀左衛門方で借り蔵による酒造開始。
 
1808[文化5年]
又兵衛が武蔵国足立郡指扇村字下郷(現埼玉県さいたま市西区指扇)に良水を得て酒蔵を建てて独立、小山本家酒造が創業。
 
1877[明治10年]
又兵衛次男、小山新七が武蔵国豊嶋郡岩渕本宿町(現東京都北区岩渕町)に分家し、「小山酒造」創業。
 
1908[明治41年]
四代目小山又八が事業投資に失敗。
縁戚に支えられ新たに足立酒造合資会社を設立し、酒造業を引き継ぐ。
 
1963[昭和38年]
足立酒造を発展継承し、世界鷹酒造株式会社設立。
 
1972[昭和47年]
営業課大卸部門を開設、全国販売を本格開始。
旧酒蔵の一部を取り壊し、生産能力3万石の大型設備を新設導入。
 
1975[昭和50年]
世界鷹酒造株式会社を株式会社小山本家酒造と社名変更。
当時全国第94位。
 
1983[昭和58年]
本社敷地内に株式会社共同精米設立。全国業界に先駆けて完全自社精米を開始。
 
1984[昭和59年]
当社独自開発のK-2酵母を使用開始。
 
1990[平成2年]
共同精米、全自動制御精米システムを導入。
 
1994[平成6年]
小山本家酒造東京支店を開設
 
1996[平成8年]
平成7年度の生産・出荷状況で全国第10位に。
 
2000[平成12年]
小山本家酒造札幌支店を開設。
 
2001[平成13年]
小山本家酒造関西支店、さいたま支店、新潟支店、秋田支店、福岡支店を開設。
 
2004[平成16年]
全国業界初の1.8ℓパック大吟醸酒「吟游詩仙」を発売。
 
2005[平成17年]
清酒及び関連商品の開発・製造にかかるISO9001認証を取得。
小山本家酒造名古屋支店を開設。
 
2007[平成19年]
純米酒米一途を米サンフランシスコへ出荷。
当社初のアメリカ輸出。
 
2008[平成20年]
創業200周年記念式典開催。
 
蒸留所のウェブサイトへ
会長
八木栄寿
 
「人生のやり残しがないようにしとけよ。」父・栄一の言葉に背中を押された。

その時から、自分の胸にしまいこんだ、焼酎造りへの思いを解き放った。平成14年のことである。父と焼酎のこと、新しい蔵のこと夢中になって話した。いい時間が流れた。「あそこに行ってこい、事情は話してある」、「こうしたらいいんじゃないか」父は全力で支えてくれた。人として懐が深く、洞察力の鋭い人物を父のほかに、私は知らない。いろんな言葉を、私に残してくれた。大きな背中を見せてくれたと思う。

初代・栄吉は激動の大正~昭和を、経済人として生き抜いた。昭和4年に焼酎蔵を立ち上げて、800石を作る地域でも大きな蔵に育てた。何もかもが足りない時代だったのだろう、他にも様々な事業を興している。躍動的で楽しい時代だったのだと思う。商工会の設立にも奔走し、初代会長に就いている。厳しい人だったという。確かに近寄りがたい雰囲気を持っていた。だけど私には優しかった。よく夜釣りに連れて行ってくれた。夕方に出発して明け方まで、長い時間祖父と二人、舟に揺られた。もちろん大漁のときもあれば、釣れない時もあった。さすがに真夜中を過ぎると眠い。「栄壽、そろそろ帰るぞ。」という言葉がどんなに待ち遠しく嬉しかったか知れない。舟の中で何を話したか覚えてはいないけど、祖父を独り占めする時間と、漆黒の海の中でポツンと明るい空間が好きで、いつもまた行きたいと思っていた。

全てが私の思いの中にすばらしく鮮明だ。二人の後を私が受け継いだ。しかし私は初代・栄吉、二代・栄一にはとても及ばない。申し訳なかったと思う。そして時は流れて、無事4代目健太郎につないだ。一代が30年を受け持つ。だからやがて創業100年を迎える。「ようやったが、栄壽」と言ってくれる二人の声を聞きたくて、たまらない。

これから時代は大きく変わっていく、と言われている。近未来の2030年、そしてシンギュラリティ到達点としての2050年を大きな節目として未来が描かれている。その通り進むのか、誰にも判らない。判らないまま皆は船に乗り遅れてはならんとばかり、しのぎを削っている。急いではならない。変わらざる価値観(不易)と、変わるべきもの(流行)をしっかりと見極め、新しきを加味していく。そして、積み上げてきたこれまで(過去)と、創造すべきこれから(未来)の一瞬の接点’今’を生きる者として、いつの時代も生きとし生けるものに対する優しさの感性と、大きなものに立ち向かう勇気、そして進取の気鋭を、忘れてはならないと思う。

 
ミッション (理念) 世にワクワクを届けて、携わる人達の幸せを造る
 
蒸留所のウェブサイトへ